おおだて探訪その① 一心院 ~真田幸村の墓を訪ねる~

こんにちは!協力隊塩崎です!

今回から「おおだて探訪」と題しまして、大館市内の様々な地域や施設、ものなどを紹介していこうと思っています。
まず最初に訪れたのは谷地町後にあります「一心院」です。

 

知っている方も多いとは思いますが、実はここにはかの有名な戦国武将「真田幸村」の墓があるというのです。

真田幸村は安土桃山時代から江戸時代初期の武将で豊臣方として徳川家康を苦しめたことで知られる武将です。

ちょうど今、彼を題材とした大河ドラマ「真田丸」が放送中ということで、その流行に乗って行ってまいりました!

 

こちらが一心院です。写真を撮影したのは3月上旬でしたので、まだ雪が残っていますね。

 

ここ一心院は常陸の国(茨城県)那珂郡小場の城主、小場三河守義実公の供養のため弘治元年(1555年)に建立されたものが、佐竹氏の秋田遷封のため、慶長十六年(1611年)に現在の場所に移ったものだそうです。

現在も茨城県那珂郡大宮町小場に「字一心院」という地番が残っているとのこと。

大館市は昨年、茨城県の常陸大宮市と友好都市提携を結びましたが、こんなところにもつながりがあったんですね~

 

さて、それではさっそくここにあるという真田幸村のお墓を探しにいきました。

お寺の方にお墓の場所を聞いてみると、なんと案内いただけることに!ありがとうございます!

 

ということでこちらが真田幸村のお墓です。

お墓が二つあります。写真右側の方は風化が進んでいます。

実はこのお墓はずっと昔からあるもので、当時は真田幸村の名前を出さずにひっそりと供養されていたということ。

昭和の時代に入り、子孫の方がもう隠す必要もないと立てたのが、真田幸村の名前が彫られた左側のお墓だそうです。

 

写真だとかなり見えづらいですが、お墓の正面には

「信濃屋長左衛門事真田左衛門佐幸村之墓」

という字が彫られています。

 

もう少しアップにすると。。。

確かに「幸村」という字が彫られていますね!

 

さて、ところで「信濃屋」ってなんだろうということで、少し真田幸村の生存説について紹介します。

史実では、1615年の大坂夏の陣で討ち死にしたといわれる真田幸村ですが、実はいくつかの生存説が存在しています。

そのうちの一つが今回のお墓と関係する大館で最期をむかえた、とする説です。

この説によると、幸村は大坂夏の陣を生き延びたのち、主君の豊臣秀頼を連れて薩摩(鹿児島県)へ渡り数年生活した後、奥州に向かい大館に至ったということです。

薩摩に渡ったのは、同じ豊臣方であった島津家を頼りにしてのこと。

ですがその島津家が徳川幕府に恭順したのをきっかけに奥州の地に向かい、全国の霊場を巡礼しているうちに最後にたどりついたのがここ、大館の地だったということです。

一説によると、下北半島の恐山を目指していたのが、途中立ち寄った大館を気に入ってしまったとのこと^_^;

 

大館にきた幸村は真田紐を売るなどして生計を立てていましたが、やがて名前を「信濃屋長左衛門」に変えてお酒の商いもするようになったといわれ、そしてそのまま大館の地で生涯を閉じた、ということです。

勇猛で知られた幸村ですが、実は商才もあったのでしょうか。

 

ということで、今回は一心院にある真田幸村のお墓に行ってまいりました。

今後もいろいろなところを訪ねる予定ですが、実は最初にここに行ったのは同じ職場の方からのとある一言がきっかけでした。

 

「真田幸村って大館への移住者なんでねぇか?」

 

あっ!

 

この「おおだて探訪」の最初の題材にいいのではないかと思い、ひょっとしたら移住者の先輩かもしれない幸村さんのお墓に行ってきたのでした。

 

◆一心院

 住所:大館市字谷地町後96

 

それでは今回はここまでです!

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました!

 

■おまけ

 

お墓の写真を撮った同じ日(3月上旬)に、立花のあたりの田んぼにいっぱいハクチョウがいました。

大館はハクチョウの飛来地としても有名です。

 

 

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2016年03月11日